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失われた時を求めて('26.9.22更新)

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 マルセル・プルースト著「失われた時を求めて」を読んでいる。20世紀最高傑作といわれ、且つ世界で最も長い小説の一つとされている「失われた時を求めて」を・・だ。 何で、そんな事を思いついたのかというと、 名前は昔から知っていたが読む気はさらさら無かった。それを読むようになった切っ掛けは、ホックニーの本を読んでいて彼が「失われた時を求めて」を愛読書?にしていることを知ったから・・。ゲイジュツカ(^^)なら読むべき本だと思って読む気になった。 ちくま文庫版で全10巻ある。1年で読めるか2年で読めるか?生きてる内に完読できるか・・まぁ、読む気が続くかどうかが問われる。疑問符がだいぶ付く読書計画なので無駄をしないように図書館で借りることにしている。 先ずは第1篇「スワン家のほうへ」を読みながら、適宜感想を書いていきたい。感想文は上に上に順に載せるので下のほうが古くなる。        第二篇「花咲く乙女たちのかげに」を読み始めているが、もう止めようと思うこと度々である。でも、思い直して再び文字面を辿ることになる。私が若い頃に読んだ三島由紀夫の「仮面の告白」(内容はほとんど忘れているけど・・)を思い出すのだ。もしかして三島由紀夫は「失われた時を求めて」が念頭にあったのかもね。 さっそくネット検索すると「仮面の告白」の冒頭部「永いあいだ」で始まる言葉が「失われた時を求めて」の冒頭部と同じだそうだ。また、三島の文体がフランス語の文体と似ているともあった。満更好い加減な感想でも無かったみたいであるな。('26.9.22)    第一篇「スワン家のほうへ」を読んだ。「私」の幼い恋の相手がスワンの娘ジルベルトであることが終盤に描かれる。スワンは、光源氏のように思われてしかたがない。単に私の妄想だがね。文庫版で700頁を超える厚さは長かった。七篇中の一篇だけだのにね。三日間ほど入院していたので暇つぶしになってちょうど良かった。さて、第二篇「花咲く乙女たちのかげに」に挑戦するか!(26'9.13) 「スワンの恋」を半分強読み進んだが、果たしてこれが・・20世紀最高の位置に値する小説なのか?・・ギモンが沸々と湧いている。自分の能力ではこの小説を理解できないのか・・ 愛人を巡っての恋敵との確執や紹介者である立場のご婦人の豹変ぶり...

切絵に目覚める?('26.8.31更新)

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 マティスは晩年、体調を崩しがちになって絵筆を握ることが少なくなった。筆の代わりにハサミを使い色紙を切って切絵デッサンしていった。女性が主な主題だったと思うけど、イラスト的な表現の作品も沢山ある。ジャズの作品が印象深い。 ところで現在マティスが存命なら、 パソコンで図像作成が簡単にできるのでハサミの代わりにパソコンで描くのではないだろうかと思う。ホックニーがパソコンで沢山絵を描いていることから考えると、絶対にマティスだって使うと思うのだ。 私も切絵を 無料ソフトのオフィスのドローを使って切絵に挑戦している。 ブルージュ・・鐘塔からの眺め、完了した。大きなアクシデント?にもめげず頑張った。偉いね。(^^) アクシデントについては、前回の投稿に詳しく書いているけど、一度は中断して未完成で置こうかと思った。でも、絵を補足して形にできたので良かった。また次を考えてみようか。('26.8.31)  後一息と少し安心したのが間違いの元だった。作成中のファイルをうっかり消してしまったのだ。 古い画像ファイルを削除して、うっかり一緒にファイルも削除指定してしまっていた。そして「ゴミ箱」を空にしてしまったのだ。 パソコンを起動してお絵描きしようとファイルを探すと何処にも無い。後の祭りである。端末でいろいろコマンドを探してやってみるが復元できなかった。 幸いjpg保存の画像があるのでそれを使って描き足す方法でなんとかできた。('26.8.30)    街路に人々の姿もチラホラ、建物もだいぶ充実してきた。もうあと一息だ。('26.8.29)   ブルージュの鐘塔からの眺め・・半分出来上がった。なかなかの出来具合だろう。描き方を詳しく説明するとしよう。 屋根・木・壁・窓等々の各部品ごとに基本形を作る。そして、実際に絵として貼り付ける時に大きさ・傾きを工夫して形が決まれば色を選び終了する。一つの形をコピーしてどんどん貼り付けていくことも出来る。 時間差で後から描いたところが一番前面になるので前後関係を間違えないようにすること。前後を入れ替えることは可能である。前面移動とか背面移動とか繰り返せば良い。少し面倒な時もあるけどね。('26.8.26)     制作途上の切絵、ベルギーのブルージュの鐘塔から見た景色を描いて...

ホックニーさん!('26.8.13更新)

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 今、ホックニーの対話集?を読んでいる。以前、ホックニー凄い!というページを書いたけど先ごろ亡くなってしまった。少し残念だった。というのも本格的にホックニーに関心を持ったのは最近だったから・・。 私の絵画観とは違っていたから名前は昔から知っていたけど「関係無い」で 過ぎていた。しかし、年齢を重ねてきて自分が描く絵の性格も変わってきて、いろいろ見ている内にホックニーの絵が頭に上るようになってきた。 色の感じはマチスのようで、線描はピカソと似ているようで・・でも違う。ホックニーはホックニーで他の芸術家とは違う。凄く特徴的だと思う事は高齢になっても新しい技法を研究し実践するエネルギッシュな姿勢だ。命尽きるまで進化し続ける姿勢だ。パソコンで絵を描くことが平気に?出来る人なんだ。イラストレーターなどは当たり前に使って絵を描いているだろうけど、世界的に名の知れた巨匠であるホックニーが、展覧会場に掛ける絵をパソコンで描くなんて・・・凄いよ。(もちろんパソコンを使って画像処理する映像作家で有名な人はたくさん居るけどね。) ホックニーは油絵具やアクリル絵具で描く表現で十分?巨匠になっているのに、まだやるのって・・まだ描き足りないのって思うのだ。  図書館で「春はまた巡る」〈ホックニー・芸術と人生とこれからを語る〉を借りて読み始めた。前に「秘密の知識」〈巨匠も用いた知られざる技術の解明〉と「ホックニー画集」を借りて読んだことがあるが、本作はまた違った文章でホックニーが感じられると思い楽しみに読み進めている。 このページでこれからホックニーについて感じたことをその都度、書いてみよう。      ホックニーは日本にも興味をもっていたようだ。つい最近も日本で展覧会を開いている。北斎や広重の浮世絵についても雨や水の流れの表現に自説を披露している。北斎については生き方にも関心を示しているようだ。まあ、日本という極東の島国を同じ島国であるイギリスと比べて違いに思いを馳せているのかもしれない。 「お月見」をする風習など自然に接する姿勢も興味があるようだ。 さて、読了しての感想は「面白かった」ことに間違いない。本について一言述べておく。日本版は「青幻舎」。製本が何処か分からないが、かなりしっかりした装丁で紙質もしっかりしていて気に入った。Printed in Ch...

夏の道に因んだ話

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 この絵の不思議なところ・・分かるかな? 季節は夏まっ盛り、路面に電線の影が落ちている。でも電信柱は数本有るけど電線が一本も無い。描き忘れた?ということは無い。始めは電線を3本ちゃんと描いていたのだけど消した。それなら影は・・消し忘れ? それも無い。路面の上の影は必要だった。夏の道路にくっきりと電線の影があるのは強い陽光の証明だ。 電線を消した訳は、広い空が真っ二つに切り分けられるから、それが残念なので電線は無いことにした。   私は車で山間部を走っていた時、狭苦しい谷間の道を抜けたと思った途端、パーッと空が開けて広大な畑と遠くに点在する農家の風景に感動した。空が広いことに自由感が湧いてきた。この地は私の勤務校がある地で数年この道を通うことになったのだ。 ある時、この道に沿って電信柱がポンポンと立てられて、あっという間に電線がピューと伸びてきた。それからは道路を走っても何の感激も無くなった。だって、広い広い空が一本の電線で2つに区切られてしまっては・・狭苦しさしか感じなくなった。   たった電線1本だけど、その影響は厳然とある。この絵の場所は違うけど、絵に電線を描くのを止めた理由はこういうことです。しかし、電線が「無い」と「有る」で感じが違ってくるので、必ず無い方が良いという訳ではない。   

病院内風景('26.7.23更新)

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「そこ、担架が通るところで邪魔なんですけど!」「あっ、スミマセン。直ぐ除けます。」ってか・・・看護師さんに叱られて描いてました。(ウソです) 定期的に診察してもらっている病院で待っている間に、スマホでこっそり撮りそれをプリントして描きました。  病院という特殊な場所は、人工物で固められていて自然の物は殆ど無い環境である。入院病室には 、花など花瓶に挿されているかもしれないが、細菌類を持ち込む可能性があるのでそれを排除する為に待合室などには生物類は無い。いや、居た。患者さんが唯一の生き物として沢山居る。それ以外の生物は居ない。 絵のことだが、人工物の塊で構成された建物をどう表現するか工夫が必要だ。ここは墨絵風にモノクロームにしてみるか・・・ 墨絵風とか最初思っていたけど、仕上げに近づくにつれて実際の色味に似てきた画面になった。完全にモノクロームにしたら題材に選んだ場所柄面白くない感じがした。   向こうの方はぼかし気味に描いてみる。      院内景は出来るだけ実際の色調にして描いてみる。病院内風景をモノクロで描くのは、陰々滅々とした感じになりそうで嫌だ。病院の中は明るく且つ清潔感あふれていなくちゃねえ。この絵は天井と床面で三分の二を占める。そして平面でのっぺらぼうだ。難しい絵にしてしまいそうだ。      下絵    

公園('26.6.28更新)

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 地方都市でこれほど広大な公園が中心部にあるのは珍しいと思う。有名な庭園等なら地方にもいろいろあるけど、私が描いているのは普通の公園である。ただし史跡指定されていて市有地でも県有地でもないから公園で置いておくしかないのだろう。以前は野球場や競輪場や公立病院が建っていた。それらが全部移転していって、今は芝生だけの広場になってる。  前回とほとんど変化ないようだけど芝生の色を変えてみた。少しだけ黄緑を加えてみた。海と間違えられないようにね。モノクロ仕上げと言っていたけど方針転換です。ちょっとだけね。      画面半分の芝生広場は海岸状態から少し脱出した感じだけど未だ落ち着かないね。   色を使わずモノクロに近い状態で表現することの難しさ、明暗を見極めることが出来ないとダメだな。広場が明るすぎるのかもね。     あぁアカン!芝生広場が海岸になってしもた。これでは浅瀬に波が打ち寄せている絵にしか見えんな。どうする・・・  だいたい公園風景を墨絵風味に味付けするから間違いが起こるんだ。芝色?つまり若草色の総天然色にすれば良いのに、 何を好んで墨絵風にすると人は言う・・聞いてはいないが。明暗で表現するっていうことは、芝生広場と浅瀬海岸と似てしまうのだ。下手くそだから・・   下絵を墨汁で描いたのだけど、モノクロームの落ち着いた感じが良いなと思った。明るく澄んだ青空と若草色の広大な芝生の景色もすっきりとして伸びやかで良い感じなのだが、墨絵風に落ち着いた素朴な絵も描いてみたいと常々思っていたのでここはモノクロでいく。 中景部分の木立の所を描いてみた。木である事だけ判別できる程度に描いた。       

地下歩道入口('26.7.16更新)

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「こんな所で絵を描いてっ、邪魔なんだよ。退けよ!。」「あっ、すみません。」歩行者に叱られながら描いてました。(ウソです)  これは少し不気味さを漂わせてみたいと思っている。昼間の明るい時でも地下道は薄暗い所だ。地下道の入口は異次元の世界に入っていくような、ちょっとドキドキする感情が湧いてくるのではないかな。私はそんな気分になるので不気味さを少し強調したい。 描き進める間に色を少し増やしました。地下道表示の矢印の朱色はちょっと生きているでしょう。これで完成です。  彩色をモノクロ仕立てにすると言っていたけど少しだけ色を付けてみた。あまりに単調すぎて面白くないのでちょっとだけ色を付けてみた。ちょっとだけよ。 視覚障害者用の敷タイルと地下道表示板と道路標識だけね。今のところそれだけです。     柱の部分を描き終えた。階段を降りていく空間部分がハッキリ見えてきたと自画自賛する。手前の路面表面と壁の部分が区別つき難くなった。これはどうしたもんだろう。課題がまた出てきた。ウ〜ン    絵をモノクロームで表現するというのは、“言うは易し行うは難し”である。色を使って描く場合は赤は赤色、青は青色、黃は黃色、灰は灰色、黒は黒色、白は白色・・・そのモノの色を付ければ良い。モノクロームは単色であるから選んだ色の明度或いは彩度の差で表現することになる。それはまだ良い。問題は、例えば赤と青、緑と茶、といった色の区別ができ難いわけだ。白黒写真を思い浮かべば良い。具体的にこの絵で言えば、地下に入る左の壁の上部は白漆喰、手摺を取り付けている部分はレンガ色のタイルが貼り付けられている。下に降りていく程に暗くなって白色とレンガ色とが同じ黒っぽい色に溶け合ってしまう。この違いを表現するのは難しい。デッサン力が試されるところだね。 さてまだまだ難所は続きそうだ。  色調は墨絵風味を利かしてモノクロに近い。絵具を紹介する。アイボリーブラック・イエローオーカー・パーマネントホワイト3色適当に混合する。

駅('26.7.6更新)

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 街に行く時に利用する私鉄電車(伊予鉄道)の近くの駅をモデルにして描いてみようと思う。現地での写生ではなく写真を見ながら描いている。 電車の駅は直線や曲線で表す構造物が多くて面白い。 これから描く絵は鉄骨や線路や家並みなど人工物ばかりで構成する。自然物は遠景の山と空そして線路脇の雑草だけだ。 構図の勉強になるかもね。 ほぼ完成である。駅構内に置いてある椅子の手摺、道路上の交通標識、軽自動車のテールランプ、等々本当に細かい部品?の仕上げをやっておいた。写真じゃないから・・いや、写真を見ながら描いているな、ウ〜ン この絵は何が言いたいのか・・・。 とにかく面倒くさいことは考えずに仕上げに向かおう。ところでこの駅は何処か分かるかな?     細かい部分に彩色がされてきた。もうあと少しで完了させるつもり。描き進めていくと細かい所が気になってくる。そこを直すとバランスが悪くなって隣を直すことになる。これを次々やっていくと仕上がらないので困る。良いところで止めないとね。     主に空を描いた。薄く淡い白雲が箒で掃いたようにある。空の色も薄青い。それ以外は日陰になっている建物の部分や電信柱を少し描いた。前回と比べると空が落ち着いてきたように感じる。やはり下地の白のままの空と描いた空とでは感じが違っているね。正に絵の成長を記録しているのだ。なんちゃってね。(^^)自画自賛!     いよいよ中景に手を入れる時がきた。建物群をしっかり固定させないとふにゃふにゃの絵になってしまう。ここで難しいのが、道路に日光が当たっている所と建物の影がある所の描き分けである。浮いても沈みすぎてもいけない。ちょうどいい塩梅の明度で安定化させることが大切だ。   描き進めていくに従って色調や明度などの狂いが目立ってくるものだ。前にもこのことは書いておいたが前回の写真と見比べてもらうと一目瞭然だ。屋根の支柱部分の色の明度が修正されているだろう。天板の下部分は逆光で暗くなっているので、それを描いている内に支柱の色が明るすぎることに気がついた。描き進むにつれてこのようなことは何度も出てくる。修正するには勇気が要ると書いたが、仕上がりに近づくと「まぁ、これくらい良いか」なんて甘くなる。そして失敗作になるん...

哲学的な絵('26.7.9更新)

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  道路工事現場の岩がむき出しになっている所を描いている。岩と草木・無生物と生物の対照的な存在を絵にしてみるつもり。題して「県道脇のエヴェレスト」(仮題) 題名は少しふざけているけど絵は真面目に、強烈に真面目に描くつもりです。 と、言うのも難しい絵になるから。岸田劉生の「切り通し」の絵が似たものと言えるかな? 別にあの絵が哲学的かどうかは分からないけど普通の風景画ではない。何に関心を示しているか不明だ。  ※ 最新状況写真が上になっています。写真の下にコメントを入れています。 完成です。「県道脇のエヴェレスト」 岩に付いた土汚れを最後に描いて終わり。    岩の表面色に手を入れた。実際の色に近づけた。コンクリートみたいに真っ白ではないからね。でも、なにかお化粧したように均一になっているからまだまだこれから描き込まないといかん。  崖岩と草木の彩色に入ったが、手始めに草木から描いていった。これはモワッとした感じで岩の硬質な感じと対象的で、画面にリズム感が生まれるような気がする。 木の枝とか草の幹にも注意を払って描き込んでいる。これは細部で目立たないようでいて実は大きくポイントを稼いでいる部分だ。  次に岩である。これは思っていたよりずっと難しかった。実際の色は褐色掛かっていたりするのだが、石の感じをより強く出すために無彩色にしてみた。コンクリートになってはいけないしどうにも難しい。       彩色する。背景から描き始める。最遠景は空。 何故空から描き始めたのかというと、一番簡単そうだったから。 この絵は前・中・遠景という風景画の基本的な構成が成り立たない。 これは果たして風景画か?対象物は崖岩と草木。前・近景の絵だね。   下描きがほぼ完了した。下描きには墨汁を使っている。 墨汁は炭+膠だから油彩画の下描きにも使える。 そして、なにより乾燥が早い。匂いも無い。これは良い。      

面河渓谷の絵('26.8.7更新)

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 今、描いている絵は夏の渓谷です。写真を見ながら描いているので細かな部分は省略しながらです。 子供の頃から何度も行っている場所なので雰囲気は体が知っているのだけど、絵に表すとなると写生する力不足が如実に出てきます。 しかも写真を見て描くなんて・・・邪道だ!  とは思わないけど写生力が無いのに写真だけで描くのはやはり・・・邪道だ! それは、それで置いておいて絵をこれから説明します。この投稿は、絵が完成するまで更新していきます。最新の絵が一番上にきます。写真の下に説明文を入れるようにします。 この絵は、リビングの壁に掛けているところを写真に撮ったものだ。前回(下の絵)の絵と比べてみてほしい。描き直したり色を描き加えたりしてはいない。全く同じ絵なのだけど光の強さでこれ程も違って見えるのに私自身驚いた。写真はもっぱらスマホで撮っているが、絵の紹介写真を撮るとき注意しないといけない。自然光で光の強さが強いほど良い写真になると思っていたが浅はかなことだったと反省する。両者を比べて絵の雰囲気を表現できているのは上の方だ。下の方は明るさが過ぎて、細かな筆遣いなどは見えるかも知れないが絵の味わいが無い。  「色の魔術師」を標榜する私としては、今更ながらに思い至った事に呆れる。     完成に近づいた・・と思う。写真では岩の表面が青くなりすぎているように見えるけど実際の絵はもう少し灰色掛かって青灰色というところだ。手前の足元の敷石も同じ。 中央の大石は超巨大デンデン虫の殻といった感じである。この絵はちょっと絵葉書風になって しまったなぁ。(^^) 遠方の木々の光と中景の水面の反射と左下の滑らかな岩の表面を描いた。これは純然たる印象画だ。 前景の彩色をした。石畳風の道の表面はコンクリート舗装なので光を反射して明るい。一見すると黒っぽい感じは、うっかり黒を多く混ぜすぎると沈んでしまって前に出てこない。気をつけよう。  画面中央部から右にかけての後方に入る所は、中景から遠景に移行するのでかなり難しい描き方になると思う。これを失敗するとダメ絵になるな。 今日は1月10日、少し遅れたが「描き初め」ということで今年も傑作?を描いてみようと思う。彩色したのは、岩の部分と遠景の木々の葉に少し手を入れてみた。 いつものことだが描き始めは調子悪くて気分が悪い...

我がルーツ

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 定年を迎えて私は故郷を離れた。山間部の町で生まれて成人直前までそこで暮らした。大学生活は福岡で過ごし、社会人となって教員生活の初っ端が今治市で街暮らしが続いた。故郷を離れて7年目に転勤で故郷に帰ってきた。勤務校は幾つか変わったが山の町を出ることなく過ぎた。  教師生活30年目にして3年間の島暮らしを経験することになる。海辺の生活は新鮮であった。台風が来て避難するという経験もした。3年間はあっという間に過ぎた。   それから定年までの数年を再び山の町で過ごした。そして退職、普通ならそのまま故郷である山の町に居続けるだろう。だけど戸籍謄本の所在地・本籍地の近くに転居した。それが海辺の町である。  本籍地には菩提寺があり週に1回くらい墓参りに出かける。つまり私の故郷は山の町で、我が家のルーツは海辺の町ということで定年後の転居は興味本位ではない確固とした理由がある。   もう少し我が家のルーツを辿ってみることにする。藩政時代?(あまり知らないのだけど)は海運に関係する仕事をしていたらしい。「御船手」という言葉を祖母から聞いたことがある。海に関係することといえば祖父が海軍士官だった。私の母は養女で父は婿入りしてきたということで私自身、家系的には血のつながりは無いのである。 さて、個人的なことばかりいろいろ書いてきた。私が住んでいる近辺の海のスケッチを紹介する。ちなみにこの場所は、「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今はこぎ出でな」額田王の歌で知られる松山市三津浜である。