失われた時を求めて('26.10.31更新)
マルセル・プルースト著「失われた時を求めて」を読んでいる。20世紀最高傑作といわれ、且つ世界で最も長い小説の一つとされている「失われた時を求めて」を・・だ。 何で、そんな事を思いついたのかというと、 名前は昔から知っていたが読む気はさらさら無かった。それを読むようになった切っ掛けは、ホックニーの本を読んでいて彼が「失われた時を求めて」を愛読書?にしていることを知ったから・・。ゲイジュツカ(^^)なら読むべき本だと思って読む気になった。 ちくま文庫版で全10巻ある。1年で読めるか2年で読めるか?生きてる内に完読できるか・・まぁ、読む気が続くかどうかが問われる。疑問符がだいぶ付く読書計画なので無駄をしないように図書館で借りることにしている。 先ずは第1篇「スワン家のほうへ」を読みながら、適宜感想を書いていきたい。感想文は上に上に順に載せるので下のほうが古くなる。 アルベルチーヌとの関係がいろいろ描かれる中で、第二篇の終わりがけに最終的に別れるようなことになっている。アルベルチーヌの寝所に誘われるところで、そのまま侵入しアルベルチーヌに接吻をしようとするが拒まれてベルを鳴らされてしまう。何なんだ。このドタバタ喜劇のような展開は?・・・「花咲く乙女たちのかげに」の最終盤の描写がまるで画家が絵具を駆使して気に入った色を工夫して作り出しているような、ある意味執拗な表現がされている。('26.10.31) 第二篇「花咲く乙女たちのかげに」の終盤に掛かった。二部の「土地の名」後半は二人目の恋人アルベルチーヌとの出会いとその後の行程における「私」の心情の吐露が中心である。 この時代の文章形式の特徴なのかどうか知らないが、修飾がやたら長い、冗長と悪口できるくらいに感じる。しかし、それが適切な表現ともなっているところが、この小説の特徴なのかもしれない。一例をあげると「・・・その目は、あたかも暗いアパルトマンのなかにあって、きらめく海のみどりの反射と日光とをあふれさせている一つの部屋の、ドアがひらかれている入口のようであった。」(井上究一郎訳・ちくま文庫より)世界一長い小説の一つとされているけど、修飾部分を短縮させていくと3分の1くらいに短くできるんじゃないかと思う。でも、プルーストさんに悪いね。この冗長な修飾部...