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失われた時を求めて('26.8.29更新)

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 マルセル・プルースト著「失われた時を求めて」を読んでいる。20世紀最高傑作といわれ、且つ世界で最も長い小説の一つとされている「失われた時を求めて」を・・だ。 何で、そんな事を思いついたのかというと、 名前は昔から知っていたが読む気はさらさら無かった。それを読むようになった切っ掛けは、ホックニーの本を読んでいて彼が「失われた時を求めて」を愛読書?にしていることを知ったから・・。ゲイジュツカ(^^)なら読むべき本だと思って読む気になった。 ちくま文庫版で全10巻ある。1年で読めるか2年で読めるか?生きてる内に完読できるか・・まぁ、読む気が続くかどうかが問われる。疑問符がだいぶ付く読書計画なので無駄をしないように図書館で借りることにしている。 先ずは第1篇「スワン家のほうへ」を読みながら、適宜感想を書いていきたい。感想文は上に上に順に載せるので下のほうが古くなる。        ホックニーが愛読書にした訳が少し分かった。細かな表現が絵画風?なんだ。事物の色彩表現が細やかで、時間の経過による色の移り変わりも丁寧なところがある。風景や事物の形の表し方も画家の眼で見ているような感じがする。具体的で正確なんだ。 ('26.8.29)   登場人物が多いので名前を忘れてしまうと、人々の繋がりが不明瞭になるので時々確認が必要になる。人の名前を覚えることが苦手な私には酷なことだ。 現在第1篇第1部「コンブレー」を三分の二読んだ。面白いと思ったところは人間関係だ 。私・祖母・祖父・母・父・叔母・叔父・女中たち・雇い人とたくさん登場するが、叔母と女中のフランソワーズの駆け引きなどの場面は可笑しい。この分なら最後まで興味を持って読めるかなと思う。('26.8.28)

切絵に目覚める?('26.8.29更新)

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 マティスは晩年、体調を崩しがちになって絵筆を握ることが少なくなった。筆の代わりにハサミを使い色紙を切って切絵デッサンしていった。女性が主な主題だったと思うけど、イラスト的な表現の作品も沢山ある。ジャズの作品が印象深い。 ところで現在マティスが存命なら、 パソコンで図像作成が簡単にできるのでハサミの代わりにパソコンで描くのではないだろうかと思う。ホックニーがパソコンで沢山絵を描いていることから考えると、絶対にマティスだって使うと思うのだ。 私も切絵を 無料ソフトのオフィスのドローを使って切絵に挑戦している。 街路に人々の姿もチラホラ、建物もだいぶ充実してきた。もうあと一息だ。('26.8.29)   ブルージュの鐘塔からの眺め・・半分出来上がった。なかなかの出来具合だろう。描き方を詳しく説明するとしよう。 屋根・木・壁・窓等々の各部品ごとに基本形を作る。そして、実際に絵として貼り付ける時に大きさ・傾きを工夫して形が決まれば色を選び終了する。一つの形をコピーしてどんどん貼り付けていくことも出来る。 時間差で後から描いたところが一番前面になるので前後関係を間違えないようにすること。前後を入れ替えることは可能である。前面移動とか背面移動とか繰り返せば良い。少し面倒な時もあるけどね。('26.8.26)     制作途上の切絵、ベルギーのブルージュの鐘塔から見た景色を描いている。数年前に描いた油彩画を元にして 切絵で表現してみているが、結構肩が凝る作業だ。重なりを考えて一番遠くの景色から描かないといけない。完成はいつになるだろうか。楽しみだね。('26.8.17)     「松林図」四部作完成する。なかなかの出来だ・・と思う。松葉の様子など1から比べて3や4は出来具合が違うだろう。腕が上がってきた証明だ。(^^)  オフィス・ドローを使って分かることだが、数学的な図形を描くのとは違って絵を描くのにはなかなか抵抗感がある。でも面白かった。ガラス絵を描いたことはないけどちょうどガラス絵を描くときの神経が必要だ。一番表の絵と重なる絵が逆転しないよう時々考えながら修正をしていく必要がある。 ('26.8.12)  切絵モドキをやってみると意外とはまり込んでしまう。今、伊藤若冲の「松林図」に夢中に...

ホックニーさん!('26.8.13更新)

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 今、ホックニーの対話集?を読んでいる。以前、ホックニー凄い!というページを書いたけど先ごろ亡くなってしまった。少し残念だった。というのも本格的にホックニーに関心を持ったのは最近だったから・・。 私の絵画観とは違っていたから名前は昔から知っていたけど「関係無い」で 過ぎていた。しかし、年齢を重ねてきて自分が描く絵の性格も変わってきて、いろいろ見ている内にホックニーの絵が頭に上るようになってきた。 色の感じはマチスのようで、線描はピカソと似ているようで・・でも違う。ホックニーはホックニーで他の芸術家とは違う。凄く特徴的だと思う事は高齢になっても新しい技法を研究し実践するエネルギッシュな姿勢だ。命尽きるまで進化し続ける姿勢だ。パソコンで絵を描くことが平気に?出来る人なんだ。イラストレーターなどは当たり前に使って絵を描いているだろうけど、世界的に名の知れた巨匠であるホックニーが、展覧会場に掛ける絵をパソコンで描くなんて・・・凄いよ。(もちろんパソコンを使って画像処理する映像作家で有名な人はたくさん居るけどね。) ホックニーは油絵具やアクリル絵具で描く表現で十分?巨匠になっているのに、まだやるのって・・まだ描き足りないのって思うのだ。  図書館で「春はまた巡る」〈ホックニー・芸術と人生とこれからを語る〉を借りて読み始めた。前に「秘密の知識」〈巨匠も用いた知られざる技術の解明〉と「ホックニー画集」を借りて読んだことがあるが、本作はまた違った文章でホックニーが感じられると思い楽しみに読み進めている。 このページでこれからホックニーについて感じたことをその都度、書いてみよう。      ホックニーは日本にも興味をもっていたようだ。つい最近も日本で展覧会を開いている。北斎や広重の浮世絵についても雨や水の流れの表現に自説を披露している。北斎については生き方にも関心を示しているようだ。まあ、日本という極東の島国を同じ島国であるイギリスと比べて違いに思いを馳せているのかもしれない。 「お月見」をする風習など自然に接する姿勢も興味があるようだ。 さて、読了しての感想は「面白かった」ことに間違いない。本について一言述べておく。日本版は「青幻舎」。製本が何処か分からないが、かなりしっかりした装丁で紙質もしっかりしていて気に入った。Printed in Ch...

夏の道に因んだ話

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 この絵の不思議なところ・・分かるかな? 季節は夏まっ盛り、路面に電線の影が落ちている。でも電信柱は数本有るけど電線が一本も無い。描き忘れた?ということは無い。始めは電線を3本ちゃんと描いていたのだけど消した。それなら影は・・消し忘れ? それも無い。路面の上の影は必要だった。夏の道路にくっきりと電線の影があるのは強い陽光の証明だ。 電線を消した訳は、広い空が真っ二つに切り分けられるから、それが残念なので電線は無いことにした。   私は車で山間部を走っていた時、狭苦しい谷間の道を抜けたと思った途端、パーッと空が開けて広大な畑と遠くに点在する農家の風景に感動した。空が広いことに自由感が湧いてきた。この地は私の勤務校がある地で数年この道を通うことになったのだ。 ある時、この道に沿って電信柱がポンポンと立てられて、あっという間に電線がピューと伸びてきた。それからは道路を走っても何の感激も無くなった。だって、広い広い空が一本の電線で2つに区切られてしまっては・・狭苦しさしか感じなくなった。   たった電線1本だけど、その影響は厳然とある。この絵の場所は違うけど、絵に電線を描くのを止めた理由はこういうことです。しかし、電線が「無い」と「有る」で感じが違ってくるので、必ず無い方が良いという訳ではない。   

病院内風景('26.7.23更新)

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「そこ、担架が通るところで邪魔なんですけど!」「あっ、スミマセン。直ぐ除けます。」ってか・・・看護師さんに叱られて描いてました。(ウソです) 定期的に診察してもらっている病院で待っている間に、スマホでこっそり撮りそれをプリントして描きました。  病院という特殊な場所は、人工物で固められていて自然の物は殆ど無い環境である。入院病室には 、花など花瓶に挿されているかもしれないが、細菌類を持ち込む可能性があるのでそれを排除する為に待合室などには生物類は無い。いや、居た。患者さんが唯一の生き物として沢山居る。それ以外の生物は居ない。 絵のことだが、人工物の塊で構成された建物をどう表現するか工夫が必要だ。ここは墨絵風にモノクロームにしてみるか・・・ 墨絵風とか最初思っていたけど、仕上げに近づくにつれて実際の色味に似てきた画面になった。完全にモノクロームにしたら題材に選んだ場所柄面白くない感じがした。   向こうの方はぼかし気味に描いてみる。      院内景は出来るだけ実際の色調にして描いてみる。病院内風景をモノクロで描くのは、陰々滅々とした感じになりそうで嫌だ。病院の中は明るく且つ清潔感あふれていなくちゃねえ。この絵は天井と床面で三分の二を占める。そして平面でのっぺらぼうだ。難しい絵にしてしまいそうだ。      下絵    

公園('26.6.28更新)

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 地方都市でこれほど広大な公園が中心部にあるのは珍しいと思う。有名な庭園等なら地方にもいろいろあるけど、私が描いているのは普通の公園である。ただし史跡指定されていて市有地でも県有地でもないから公園で置いておくしかないのだろう。以前は野球場や競輪場や公立病院が建っていた。それらが全部移転していって、今は芝生だけの広場になってる。  前回とほとんど変化ないようだけど芝生の色を変えてみた。少しだけ黄緑を加えてみた。海と間違えられないようにね。モノクロ仕上げと言っていたけど方針転換です。ちょっとだけね。      画面半分の芝生広場は海岸状態から少し脱出した感じだけど未だ落ち着かないね。   色を使わずモノクロに近い状態で表現することの難しさ、明暗を見極めることが出来ないとダメだな。広場が明るすぎるのかもね。     あぁアカン!芝生広場が海岸になってしもた。これでは浅瀬に波が打ち寄せている絵にしか見えんな。どうする・・・  だいたい公園風景を墨絵風味に味付けするから間違いが起こるんだ。芝色?つまり若草色の総天然色にすれば良いのに、 何を好んで墨絵風にすると人は言う・・聞いてはいないが。明暗で表現するっていうことは、芝生広場と浅瀬海岸と似てしまうのだ。下手くそだから・・   下絵を墨汁で描いたのだけど、モノクロームの落ち着いた感じが良いなと思った。明るく澄んだ青空と若草色の広大な芝生の景色もすっきりとして伸びやかで良い感じなのだが、墨絵風に落ち着いた素朴な絵も描いてみたいと常々思っていたのでここはモノクロでいく。 中景部分の木立の所を描いてみた。木である事だけ判別できる程度に描いた。       

地下歩道入口('26.7.16更新)

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「こんな所で絵を描いてっ、邪魔なんだよ。退けよ!。」「あっ、すみません。」歩行者に叱られながら描いてました。(ウソです)  これは少し不気味さを漂わせてみたいと思っている。昼間の明るい時でも地下道は薄暗い所だ。地下道の入口は異次元の世界に入っていくような、ちょっとドキドキする感情が湧いてくるのではないかな。私はそんな気分になるので不気味さを少し強調したい。 描き進める間に色を少し増やしました。地下道表示の矢印の朱色はちょっと生きているでしょう。これで完成です。  彩色をモノクロ仕立てにすると言っていたけど少しだけ色を付けてみた。あまりに単調すぎて面白くないのでちょっとだけ色を付けてみた。ちょっとだけよ。 視覚障害者用の敷タイルと地下道表示板と道路標識だけね。今のところそれだけです。     柱の部分を描き終えた。階段を降りていく空間部分がハッキリ見えてきたと自画自賛する。手前の路面表面と壁の部分が区別つき難くなった。これはどうしたもんだろう。課題がまた出てきた。ウ〜ン    絵をモノクロームで表現するというのは、“言うは易し行うは難し”である。色を使って描く場合は赤は赤色、青は青色、黃は黃色、灰は灰色、黒は黒色、白は白色・・・そのモノの色を付ければ良い。モノクロームは単色であるから選んだ色の明度或いは彩度の差で表現することになる。それはまだ良い。問題は、例えば赤と青、緑と茶、といった色の区別ができ難いわけだ。白黒写真を思い浮かべば良い。具体的にこの絵で言えば、地下に入る左の壁の上部は白漆喰、手摺を取り付けている部分はレンガ色のタイルが貼り付けられている。下に降りていく程に暗くなって白色とレンガ色とが同じ黒っぽい色に溶け合ってしまう。この違いを表現するのは難しい。デッサン力が試されるところだね。 さてまだまだ難所は続きそうだ。  色調は墨絵風味を利かしてモノクロに近い。絵具を紹介する。アイボリーブラック・イエローオーカー・パーマネントホワイト3色適当に混合する。