投稿

ホックニーと私

イメージ
 ホックニーが考える、消失点が複数ある多視点透視図法を面白いと思う。また、日本の絵巻などで一つの画面に同一対象物が複数回登場している構図法を、ホックニー自身の作品に取り入れる斬新な考えを面白いと思う。この構図法は、ホックニーが発見したことでもない。とっくにセザンヌや立体派の画家たちはこれを実践していたのだ。 私は、ホックニーを知ったことで変わってきた。私は絵を写実的に描くのが当たり前だった。一点(場合により二点・三点まで)透視図法が当然だとして、そこに疑問や関心を差し挟む余地は無かった。しかし、ホックニーの文章を読んで目のウロコが剥がれ落ちた。教えられた。遅すぎたけど、これから絵を描くときには気をつけるようにしよう。 ・・と、ここまで考えてきて自作を振り返って共通点が無いかどうか・・・ あった。個展「海」で展示した「三津浜内港図」だ。これは全部で8枚の集合図で一枚一枚が独立しているが、集合させれば一枚の絵として見ることができる。まさに、多視点構図法の絵だ・・と、まぁ意気込んだものの、それでどうした?と言われたら・・。 意識せずこうなったということは天才かも?! 三津浜内港(左から1・2・3・4) 三津浜内港(左から5・6・7・8) 個展「海」会場で掛けた様子   写生地の場所と方向を示す地図   野村art美術館に掛けている様子

ホックニー凄い!

イメージ
 ホックニーって凄い。現代アートの巨匠として名前は知っていた。作品も美術雑誌などで数点見たことがある程度だった。たまたま近くの図書館に行ったとき書棚に新しいホックニー画集を見つけて借りた。 ホックニーの著作で「秘密の知識」(巨匠も用いた知られざる技術の解明)という本が別の図書館にあるので後日借りてみた。 この本は古典絵画の巨匠たちの写生技法について解明しようとの調査状況?記録だ。まるで美術探偵だ。調査に当たった作品数が膨大である。中には本物の作品も見ているのだろうが、ほとんどは画集とか複製画を元に検証している。   油彩画の技法が確立された頃から古典時代までの巨匠たちの作画技法をホックニー流に解き明かしていく過程が凄いと思う。写生に光学機材を利用しているという前提に立って検証しているのだ。 古典時代の巨匠たちが光学機材を利用して描いていることが事実かどうかは不明だ。私が驚き感心するのはこの事ではなく、ホックニー自身がカメラ・ルシーダを使って写生したり凹面鏡を使って描くなど、実際の体験を通して検証する科学研究者のような姿勢だ。その執念に驚きを感じる次第である。ホックニーって面白い人だ。 (追記)絵を描く視覚というか技術というか何と言ったらいいか判らないのだが、ホックニーは「レンズを透した一つの目(単眼)」と「2つの目(双眼)」の違いと言っていることが、私にとってはまるで目からウロコが落ちたという気がする。 古典的絵画の時代から写実画は「レンズを透した一つの目」で描かれてきたが、印象派の頃から現代にかけて「2つの目」で描かれるヨーロッパ中世の頃の見方に還っているという訳だ。 前者は一点透視図法を主眼としているのに対して、後者は必ずしもそれに拘らない描き方で、具体的にいうとセザンヌの絵がそれである。リンゴの絵は多視点で描かれている。ピカソを代表とするキュービスムの絵はそれが甚だしい。  絵画の表現技術は、現在ITが加わって混合状態であるという。このような絵の見方を教えてくれたホックニーは実に天才である。 何度でも言う。ホックニーって凄い!!    図書館で借りた「秘密の知識」。汚れ避けのカバーが捩れていて邪魔な線がみえる。   ホックニーが検証に使った名画コピーの一部。壁に年代別に貼付けて検証に当たったらしい。

ホックニーとベーコン

イメージ
 デイヴィッド・ホックニーの絵はマチスを思わせる絵だと思う。 フランシス・ベーコンの絵は実に奇妙で一度見たら忘れない。2013年に豊田市美術館で開催されたベーコン展を夜行高速バスで観に行ったことが記憶に残っている。 ベーコンが1909年生まれでホックニーが1937年生まれだから28年の年齢差があるが、ベーコンが亡くなるのが1992年なので二人の芸術活動期は十分重なっている。 二人は会って芸術論や絵画論を話したりしていたのだろうか。   二人の絵のテーマは大きく違っているが、共に絵に暗さが無くカラッと乾燥している感じがする。そしてインスピレーションに素直に反応している。と言うか、インスピレーションに支配されているようにも思う。 もう一つの共通点は、平面に拘っているということ。拘わりという言い方は少し違うかもしれないが、奥行き感や立体感をすべて平面性に置き換えて表現していること、やはり平面に拘っているとしか言えない。このことで何が言いたいのかというと、現代の美術家は絵画の平面性をあまり重視していない人が多い。立体物を貼り付けたり平面性を無視して絵やら浮彫やら分からない作品になっている。ホックニーもベーコンもこのような傾向には全く無い。   ベーコンはこの世にいないが、ホックニーは現在も活躍中である。これからどんな表現を見せてくれるのか楽しみだ。 写真は共に画集から撮ったものです。許可を得ていないのですみません。

制作

イメージ
 久しぶりに油絵具の匂いを嗅いでいる。溶き油のポピーやリンシードの匂いは嫌いではないが、画室にこもる匂いは良くない。古くなったペトロールを使っていると悪臭と共に目も痛くなってくる。そんなの使っているなんてと思われるかもしれないが捨てるのももったいないしねぇ(^^)'  ここにあげた2枚の絵は数年越しの絵だ。カンナは葉の力がダイナミックで力強い感じがして好きな花だ。夏の日盛りに車で走っていると国道端で咲いているところが頑張ってるなと思う。花も良いが特に葉っぱが何度も言うが力強い。それで葉を中心にして描いてみた。  窓辺の絵は夏の夕立を描いた。冷風が吹いてきて薄暗くなったかと思うと瞬時に雨がザーッと降ってきた。驟雨というやつだ。カーテンがフワッと風に煽られて飛沫が入ってくる様を描いた。写真では右側のカーテン布が光っているけど塗り立ち絵具が収まってなく光の反射でこんんなになった。   2枚とも完成ではないけど、後少し手を入れたら仕上がるね。絵を描くと気分が良くなる。それはわかっているのだが億劫でもある。何ヶ月も放ったらかして気が向いたら描いているので2年も3年も掛かっている。趣味の世界だから良いんだ。(^^)  一応2枚の絵仕上げた。最終手入れは油絵の具を使ってなくてパステルで微調整?した。光の強さや色の濃さなどで微妙な違いを表現するのには、パステルが使い勝手が良いのだ。乾いて固くなった絵具表面にパステルで描くのはどうかと思うがゴシゴシ擦り描きした。 傑作?が出来た。 題名「カンナ」   題名「驟雨」    

二条城でキーファー展

イメージ
 キーファー作品と二条城の環境がマッチするのか他人事ながら心配?していたけど日曜美術館で観たら、それなりに安定感があった。キーファーさんは何度か来日していて、京都・日本文化にも関心があったみたいだから他人が心配する必要もなかったということだ。(^^) 日美やSNSに投稿されている映像しか観てないけど大体判る。実際を見てみたい気がするけど、京都まで行く煩雑さを考えると映像で判る範囲で良いかと思う。芸術作品を観るってそんなに簡単で単純じゃないよってか。(--)そうだねぇ。 日美でゲストの小野正嗣さんが「キーファーの作品に二条城の建物が負けてないですね。」と言っていたが、負けるわけない。 二条城は城、それも徳川将軍家が天皇のお膝下に置く。超権力の権化?みたいな場所だ。作品の圧倒的な迫力にも鷹揚に構えて「おう、来たか。そこに居ればよい。」 前にも書いたがキーファー作品を長崎の端島(通称・軍艦島)に展示してみたい。あの廃墟と作品群がどうコラボレーションするか。キーファーは軍艦島のこと知っているかな。再度日本にやって来るなら、誰か軍艦島のこと教えてあげて欲しい。切に希望する。実現は99%無いだろうがね。  

政良の絵について

イメージ
 政良作品を改めて見ると、合版に直接絵を描いているのがあることに今まで気付いてなかった。これなら私がやっている描き方と同じじゃないか!今更ながらに「何だ。親父も同じ描き方してるんじゃないか。」と思った次第。 膠絵と油絵、絵具が違うから描き方の技法は全然違っているけど、絵に向かう気持ちというか姿勢が同じような感じがしてきた。親父に対してちょっと親しい気持ちが湧いてきた。亡くなって随分経つのに今頃思う次第だ。 少し絵を描き始めようかなという気がしてきた。    

野村政良(制作について)

イメージ
野村政良の制作は以前書いたように写真を元にして、かなり細かく描写していく。それは年を経るにつれ進んでいった。壮年期は画風が違っていた。もっとダイナミックに描いていたように感じる。それは、絵について迷いがあったのかもしれないし、意欲的に新しい画風を試みていたのかと思う。 ここにスケッチから制作された絵を紹介する。「秋林」である。整然と植林された杉の林に入っていって、その美しさに心を取られた瞬間を写生している。作品は図案化された杉枝の線など意欲的な姿勢が感じられる。                       秋林 個人蔵