野村政良(その人)
野村政良は1913(大正2)年11月15日に生まれ、1998(平成10)年11月15日に死去、85年の生涯だった。商業学校を卒業して日本統治下の朝鮮に渡り職を得ると共に、日本画に興味を持ち、当時朝鮮美術展名誉審査員の加藤松林人に師事する。
第二次大戦に応召され中国の戦場で大腿部に銃弾を受けるも、命に別状なくそのまま弾丸は体内に放置?される。大腿部の銃創は大きな血管を損傷すること無く、ズボンに小さな赤く丸い染みを付けただけだったらしい。周囲の筋肉が巻き固めた形で膿むこともなく生涯終えるまで体中に留まっていた。亡くなって火葬を終え骨を拾う時に鉄の塊が出てきた。この事はかなり幸運が重なっている出来事だと思う。弾丸が数cmずれて当たっていたら戦死の憂き目に遭っていたかもしれない。そうすれば私の存在も無い。
終戦を迎え家族と共に無事朝鮮から引き上げてくる。その後愛媛県久万町(現久万高原町)の中学校に職を得る。
日本画を生涯の友として画業に励むと同時に、芸術文化を地域に広める実践もしてきた人である。町のシンボル的草花のササユリを会名とした「ささゆり会」という画塾を開いて後進の指導に当たってきた。愛媛県美術会の日本画部審査員や評議員、旧愛媛日本画会の会長といった公的な面でも中心的に働いてきた。

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