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我がルーツ

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 定年を迎えて私は故郷を離れた。山間部の町で生まれて成人直前までそこで暮らした。大学生活は福岡で過ごし、社会人となって教員生活の初っ端が今治市で街暮らしが続いた。故郷を離れて7年目に転勤で故郷に帰ってきた。勤務校は幾つか変わったが山の町を出ることなく過ぎた。  教師生活30年目にして3年間の島暮らしを経験することになる。海辺の生活は新鮮であった。台風が来て避難するという経験もした。3年間はあっという間に過ぎた。   それから定年までの数年を再び山の町で過ごした。そして退職、普通ならそのまま故郷である山の町に居続けるだろう。だけど戸籍謄本の所在地・本籍地の近くに転居した。それが海辺の町である。  本籍地には菩提寺があり週に1回くらい墓参りに出かける。つまり私の故郷は山の町で、我が家のルーツは海辺の町ということで定年後の転居は興味本位ではない確固とした理由がある。   もう少し我が家のルーツを辿ってみることにする。藩政時代?(あまり知らないのだけど)は海運に関係する仕事をしていたらしい。「御船手」という言葉を祖母から聞いたことがある。海に関係することといえば祖父が海軍士官だった。私の母は養女で父は婿入りしてきたということで私自身、家系的には血のつながりは無いのである。 さて、個人的なことばかりいろいろ書いてきた。私が住んでいる近辺の海のスケッチを紹介する。ちなみにこの場所は、「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今はこぎ出でな」額田王の歌で知られる松山市三津浜である。  

中島スケッチ

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 私は公立学校教員として山の町を生活根拠地にして暮らしていた。 ところが教師生活30年目にして勤務先が島の学校になったときは驚いた。 そして興味が湧いた。山育ちの私が海辺のしかも島の暮らしをするなど想像もしなかった。 場所は瀬戸内海に浮かぶ忽那諸島の一つ愛媛県温泉郡中島町(現在は松山市中島)だ。 島の人は、慣れない島暮らしをしている私を「何もないところだから退屈だろう」と気遣ってくれた。 しかし私にとって山が海になっただけで自然豊富な環境は変わらないので全然退屈しなかった。 魚釣りを勧められたが元々釣りは興味持ってなかったのでやらなかった。家の前で海釣りが出来るなんて、釣りを趣味に持っている人にとっては垂涎の環境だったろう。 海を眺めているだけで良かった。

針金人形パントマイム

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 針金人形を使ってパントマイムを表現してみた。 退職してから一年半程、中学校で美術講師をしたことがある。免許こそ中学・高校の美術教諭免許を取得しているが、38年間の現職時代で中学校美術教師であったのは初任者の3年間だけ。後は小学校に配置されて定年まできた。 つまり未経験に近い状態で美術を教えたようなものだった。前任者の指導内容を引き継ぎ何とかやっている状況だった。 そんな中で自分の考案した創作物?が針金人形だ。人形一体だけではつまらないがこの人形を数十体、できれば百体超える数に集合させると面白いと思った。 そこで地域の教育美術展に出せる作品を作らなければならない時期に生徒たちに一人数体作らせた。それを集合させて針金人形の「バベルの塔」を制作した。その写真は無い。 今、集合体を作る気はないが、いろいろな格好をさせてみたら面白いと思いやってみたのが以下に載せたもの。何の仕草かコメント入れてもいいけど、じっと見てるといろいろ思い付き一つに限らないほうが良いかと思いコメント載せるの止めた。  (コメント例)「アチャー」「よーく考えろ!」「次はうまくやるゾ」「ホンジャマカ、ホイ」等々          

美しき山渓風景(愛媛)

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 故郷愛媛にも自然豊かな景勝地が沢山ある。渓谷美で一等は面河(おもご)渓。政良の日本画「関門秋霖」(セキ株式会社所蔵)の舞台だ。関門は名称で渓谷で一番荘厳な雰囲気の所だ。実写は絵と向く方向が逆であるが関門の凄さがわかる。 ところで近年の異常気象で大雨の被害が至る所で出ている。ここ面河渓も大雨による洪水の被害があった。この関門も流木や崖崩れの被害で遊歩道が通行禁止になっているようだ。最近行ってないので復旧しているのか分からない。 「関門秋霖」  野村政良 日本画   面河渓の関門周辺の様子   面河渓ときたら石鎚山を紹介しないといけない。 西日本最高峰(1982m)霊峰として知る人ぞ知る山だ。この麓に面河渓谷がある。 霊峰石鎚は石鎚神社が鎮座し夏には「お山開き」が開催される。信者は勿論のこと一般登山客も沢山登る賑やかな夏山シーズンとなる。また、秋の紅葉の季節には見事な姿になり写真を撮りにこれまた沢山の人が訪れる。冬は雪景色が壮観でこれまた・・さすがに厳冬期には冬山登山の経験者以外はちょっと無理で映像などで鑑賞するに留まる。春も新緑やツツジが綺麗でこれまた沢山の登山者がいる。という具合で要するに年中人気のある山となっている。 ただし、転落事故も少なくなく十分気をつけて登らないといけない。甘く見てはならない山でもある。  政良作品「石鎚天狗岩」 融作品「春の山」   石鎚スカイラインから石鎚山頂を望む   石鎚山ときたら瓶ヶ森を紹介しよう。石鎚山系縦走コースで必ず登る山だ。夏はキャンプ場が賑わう所である。 白骨林が景色に荘重な雰囲気を醸している。政良作品「石鎚朝瞰図」(久万高原町養護老人ホーム所蔵)は瓶ヶ森から石鎚山頂を眺めている。 政良作品「石鎚朝瞰図」   ページの最後に融と政良の傑作を紹介しておく。これは久万高原町の景勝地で古岩屋という所である。融の作品は油彩画で政良の作品は膠絵(日本画)である。 礫岩の巨石群で春夏秋冬それぞれに見どころのある景観を誇る。                「夏の古岩屋」 融作品 「古岩屋」 政良作品 (セキ株式会社所蔵)  

スケッチの旅(長崎方面)

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 大学4年の秋、学生生活も残り少なくなり九州に居るのも数ヶ月。よし、長崎に行ってみようと思い立った。 「おくんち」を目指して行った。持参品はスケッチブックと下着替え少々リュックに詰めて行った。 まず平戸に行った。仏教寺院とキリスト教会が同時に眺められるめったに無い景観。 長崎では有名観光地を巡った。「おくんち」の賑わいも味わった。蛇踊りのお囃子?のピーヒョロロという笛の旋律が今も耳に残っている。 スケッチしたのは眼鏡橋やオランダ商館など名所ばかりだ。俗っぽいね。画材は小筆と墨汁で描いた。 島原そして雲仙にまで足を伸ばしている。昭和の学生旅行に国鉄(現JR)の周遊券は有り難いモノだった。普通列車と急行列車には期間内乗り放題なので、最大限活用する旅程を考えることも楽しみの一つだった。 平戸風景   平戸 オランダ坂    平戸 幸橋     長崎 眼鏡橋    長崎 オルト邸    島原 武家屋敷    島原城       雲仙ゴルフ場    雲仙 妙見岳より望む                  

スケッチの旅(阿蘇山)

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大学1年の秋10月、折角九州に居るのだから有名所を見物しようと一人で阿蘇に行った。ユースホステル(YH)の会員になり初めて泊まったのが阿蘇YHだった。そこから外輪山を描いた。翌日は観光バスで草千里まで行き、ここで下車して阿蘇五岳周辺を歩いて堪能した。 スケッチを紹介する。草千里でバスを降りリュック背負って道なき道を歩いた。さすが火山だ。溶岩ゴロゴロで思わぬ足を取られてひっくり返ったり、崖の高さが思った以上にあって往生したり・・ ここには無いが印象に残る場所の一つ、中岳の火口が見える反対側の砂千里が無機質の黒い砂漠になっていて、まるで月世界にいるような感じがした。 阿蘇といえば草千里の伸びやかな風景が浮かぶ。社会人になり初めて車を買って(軽の中古でスズキ・フロンテ360)両親と九州旅行した時に再び草千里を訪ねた。一番下に紹介した絵は亡父が描いた「草千里図」(日本画・ウェルケア重信所蔵)である。 思い出すままに夏休みの阿蘇ドライブ旅行について追記しておく。初日は天気が悪くなってきて草千里に着いたときは小雨混じりでしかも霧がかかって遠くは何も見えない状況だった。阿蘇は夏でも天候状態によっては寒い。早々に宿に入った。 二日目は天気回復、せっかく阿蘇に来て肝心の風景が満足に見られなかったでは残念すぎるので、車で来ている価値を活かせと阿蘇に引き返した。フロンテ360はしっかり走ってくれた。 さて追記の追記、私のスズキ・フロンテ360は寿命を全うするまで乗った。エンジンに穴が開いて走れなくなって廃車になった。エンジン音がだんだん大きくなってきていたがそれでも走らせていた。赤信号で停まっていてエンジンが停止したが再度奮い立たせて走った。しかし我が家の駐車場にたどり着くとそれで事切れた。ご主人思いの良い車だった。   阿蘇周辺のススキ原  阿蘇ユースホステル    阿蘇YHから外輪山を望む    烏帽子岳 を草千里より望む    杵島岳より草千里を望む   中岳麓より噴煙を望む    鷲ヶ峰    西鹿児島行き普通列車内部 「草千里図」野村政良 日本画 独身時代に両親と阿蘇ドライブ旅行