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二条城でキーファー展

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 キーファー作品と二条城の環境がマッチするのか他人事ながら心配?していたけど日曜美術館で観たら、それなりに安定感があった。キーファーさんは何度か来日していて、京都・日本文化にも関心があったみたいだから他人が心配する必要もなかったということだ。(^^) 日美やSNSに投稿されている映像しか観てないけど大体判る。実際を見てみたい気がするけど、京都まで行く煩雑さを考えると映像で判る範囲で良いかと思う。芸術作品を観るってそんなに簡単で単純じゃないよってか。(--)そうだねぇ。 日美でゲストの小野正嗣さんが「キーファーの作品に二条城の建物が負けてないですね。」と言っていたが、負けるわけない。 二条城は城、それも徳川将軍家が天皇のお膝下に置く。超権力の権化?みたいな場所だ。作品の圧倒的な迫力にも鷹揚に構えて「おう、来たか。そこに居ればよい。」 前にも書いたがキーファー作品を長崎の端島(通称・軍艦島)に展示してみたい。あの廃墟と作品群がどうコラボレーションするか。キーファーは軍艦島のこと知っているかな。再度日本にやって来るなら、誰か軍艦島のこと教えてあげて欲しい。切に希望する。実現は99%無いだろうがね。  

政良の絵について

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 政良作品を改めて見ると、合版に直接絵を描いているのがあることに今まで気付いてなかった。これなら私がやっている描き方と同じじゃないか!今更ながらに「何だ。親父も同じ描き方してるんじゃないか。」と思った次第。 膠絵と油絵、絵具が違うから描き方の技法は全然違っているけど、絵に向かう気持ちというか姿勢が同じような感じがしてきた。親父に対してちょっと親しい気持ちが湧いてきた。亡くなって随分経つのに今頃思う次第だ。 少し絵を描き始めようかなという気がしてきた。    

野村政良(3)

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野村政良の制作は(2)で書いたように写真を元にして、かなり細かく描写していく。それは年を経るにつれ進んでいった。壮年期は画風が違っていた。もっとダイナミックに描いていたように感じる。それは、絵について迷いがあったのかもしれないし、意欲的に新しい画風を試みていたのかと思う。 ここにスケッチから制作された絵を紹介する。「秋林」である。整然と植林された杉の林に入っていって、その美しさに心を取られた瞬間を写生している。作品は図案化された杉枝の線など意欲的な姿勢が感じられる。                       秋林 個人蔵

私は、佐藤忠良が好き

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「首狩り」なんて恐ろしい想像をするが、彫刻家の場合は野蛮な行為ではない。全身像や半身像を造るように頭像を造ることを言う。あまり一般的な言い方では無いけどね。佐藤忠良は、頭像を多く制作した。良い作品が沢山ある。 私は、教師になって最初に勤務したのが中学の美術教師だった。隣の中学校の先輩美術教師(Aさんと呼ぼう)と話す機会があった。たまたま「アトリエ」というアマチュア向けの美術技法専門の雑誌で彫刻技法の刊を持っていたとき、Aさんがそれを見て「その中の頭像のモデルは私なんだよ。」驚いたねぇ。 Aさんは、彫刻が専門ですでに県展の彫刻部審査員だった。若い時Aさんは彫刻を学びたいと佐藤忠良に直談判し弟子にしてもらい、夏休みなどを利用して指導を受けた。その間にモデルになったのだという。 驚くとともに感心させられた。  

私は、香月泰男が好き

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 第二次大戦後シベリア抑留された経験を持つ画家で「シベリアシリーズ」が有名だ。抽象画ではないが精神的なモノを抽象的な表現を使って表している。色使いも独特で派手な色調は全く無い。土や石を思わせる色合いだ。油絵具以外にもいろいろと画材として使ってみたようだ。 中央ではなく地方で制作した姿勢が良い。地元の小川に架かる橋を引き合いに出して「私はこの橋を中心にして、500m以内で描きたい画題を十分見つけることができる」と言ったとか。写生するのに適した好景色を探すのではなく、自分のテーマに添った場所や物は見つけようとする姿勢があればどこにでも在ると言いたいのだろう。この姿勢は坂本繁二郎とも同じだ。  

私は、中西利雄が好き

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水彩画は軽妙な感じがする。でも、中西利雄はこの軽妙な感じの水絵を重厚な油絵のように描きたかった。作品は風景も人物も素晴らしいと思う。重厚さが感じられるのは人物画のほうだ。風景画は水絵本来の軽妙さが生かされている作品も多い。 中西利雄著「水彩画の技法」の中に〈自然の持つ美しさと厳しさ〉について述べたところがある。一部を少し長くなるが転載してみる。  「〈略〉十和田湖へ新緑の写生に出かけた時であった。六月の奥入瀬の渓谷に入って私はじき自分の敗北を意識した。〈略〉やはり自然の美しさに圧倒されて手も足も出ない感じであった。〈略〉偶然その時同宿した京都の或る日本画家は私とは、別な方法で勉強しているのを知った。彼は毎日古風な望遠鏡を首に掛け、小さな写生帖と古新聞をたくさん抱えて渓谷に入っていく。望遠鏡は対岸の樹林や大きな樹木の枝にとまって囀る鳥類の生態を観察するために、古新聞は制作に必要な植物を採取して来るために、そして夜食後はランプの下で採取した植物の葉を整理分類して克明に写生するのである。この花鳥画家の毎日規則正しく自然の中に入っていって静かに観察し克明に写生し勉強している態度が私には羨ましかった。 〈略〉我々は自然の中に入るととかく自然の美しさに引き摺られがちであり、自然の美しさが圧倒的なだけに肝心の絵のことは忘れていつの間にか自然のあとを追いかけ回したり、自然の外側だけを撫で回すことは極めて多い。 自然の示す変転極まりない複雑な効果の中から、その感動を生き生きとつかみとりつつ形、明暗、色彩をもって厳しく再構成していくこと、自然の中に躍動する生命を生き生きと表現することが大切である。自然の示す美しさというものが普通考えられる美しさ(甘美)でなしにその美しさの中には非常に厳しいものを含んでいることも同時に知らなければならない。」 実に清々しい内容だ。この本を手に取るとき必ず読んでみる箇所である。

野村政良(2)

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野村政良の制作方法は実に細かい。風景画は写真を元に描いていた。写真に1cm又は5mm間隔で座標を書き入れる。画像拡大する大昔から世界共通の手法だ。作品の大きさの下図用紙にそれ相当の間隔で座標を書き対象部分に添って鉛筆で描いていく。 下図を描き上げると次は作品用のパネルに絵を転写する。方法は新聞紙を広げて木炭を全面に擦りつけ黒くした面をパネルに当て置く。その上に下図を重ねて鉛筆か竹ペンで、絵の線をなぞり写し取っていく。 黒塗の新聞紙は複写カーボン紙の役目を果たしていたのだ。 パネルに写し取った木炭の線を固定するため筆を使って水墨で再度描く。 そして彩色に移る。紹介した下図には座標線が書かれているのが少し見える。